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知里幸恵略年譜 幸恵と金田一 幸恵のノート アイヌ神謡集とノート

『アイヌ神謡集』と「ノート」


『アイヌ神謡集』が刊行されたのは、幸恵の死からほぼ1年後の1923年8月であった。 どのような理由があったのかは詳らかではないが、 生前の幸恵が校正を済ませていたにしては刊行が遅れた。 金田一は、幸恵の上京中に書いてあった跋文に数行を追記し、次のように結んで 幸恵の死を惜しんだ。 「種族内のその人の手に成るアイヌ語の唯一の此記録はどんな意味からも、 とこしへの宝玉である。 唯この宝玉をば神様が惜んでたった一粒しか我々に恵まれなかった」。 現存する幸恵の「ノート」には刊本『アイヌ神謡集』に収められた神謡がすべて含まれるが、 これらを刊本と対照するとアイヌ語表記、ともに各所に違いが見られる。 「ノート」はあくまでも草稿であって、完成稿ではないことがわかる。 金田一と幸恵の完成稿にいたるまでの有無については不明である。




参考文献:『アイヌ神謡集』郷土研究社発行(復刻本)